幸せの考察Ⅱ
今尚幸せを追究し続けるいびです!(๑˃̵ᴗ˂̵)
何故追求ではなく、追究なのか
それは幸せには限度がないからだと考えているからです。
また、過ごしている環境、その時の自身の在り方、願い望んでいるもの
その時次第でその人が求めている幸せって変化していくものなんじゃないかなーと思います
そう考えるとどれだけお金持ちになったとしても、どれだけ沢山の人脈が出来たとしてもその時の自分にとって幸せなことって何だろうって常に考えることはとても大事です
何故常に考え続けるのか?
それは幸せな時間って時間が経てばいつか必ず当たり前な時間へと変化してしまうから
要するに物足りなくなってしまうんです、
頑張っているともうこれで満足!って思いたくなる瞬間ってきっとやってくる
でもそこで幸せの追究を止めるとだんだんと刺激を求めたりするようになっていきます
怖いですね😢
友人間、夫婦間の亀裂
日常での堕落
生きる目的を見失うなど…etc
幸せまでの道のりを登山で例えるなら
(何故登山かはさておき( ̄▽ ̄))
幸せの追究は山登りです
であるなら追究を止めるということはそこで足を止めるということ。
そして後は降るしかない
今まで登ってきた道のり、幸せと感じてきたことが当たり前になるということは
もう今後、幸せな時間というものはまた登らない限り二度とやってこない
なら登り続けるしかない
だから、いびは幸せを追究し続けることに
命を使っています(*´꒳`*)
毎日が幸せならそれってとても素晴らしいことだと思うから💫
人生の全ての時間にこの考えは当てはまらないとは思います
幸せを追究する上でどのような考え方であれば全ての人に通じるのか
その答えを見つけるのも自分の人生の中での課題の一つです
まずは今の自分と大切な人を幸せに